2008年10月12日

作曲は超能力か?

タイトルをキメてみたbいやしかし中身はいつも通り。
やる気が切れた時はどうでもいい妄想を書くに限る。
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 ホームステイの語学学校に議論の授業があった。とある週の議題はいわゆる超能力。詳しい文脈は省くが、授業中講師がこんなことを言った。
 有名な作曲家の中には『曲は初めからそこにあった。僕はそれをただ楽譜におこしただけだ』『夢の中で聞いた曲をそのまま演奏したんだ』なんて言うことがある。僕には全く想像がつかないし、そんな超能力があれば欲しいものだ。
 議題から少し外れていたし生徒の興味と離れてもいたから、議論する間も無くどこぞへと消えてしまった。しかし肯定も否定もする機会が無いまま引っ掛かっていたからここに書く。

 一体何が引っ掛かったのか。
 作曲者達の発言に別段違和感は無い。お前は曲を書くからだ、と言われるかも知れないがそうではない。
 例えば、子供の頃書いた読書感想文などの作文を一体どうやって書いたのか、と尋ねられたらどう答えるだろう?恐らく突き詰めれば『よく分からないがそう思い付いたのでそう書いた』以上の解答は無いだろう。それを詩的に言えば『初めからそこにあった』となると思う。同じく曲も『よく分からないがそう思い付いたからそう書いた』だけなのだ。これはあくまで僕の意見だがそう捉えてさして問題はないだろう。
 そして少し他のものに目を向ければ、喋る・思うなど他の表現形態も同じではないだろうか。これらは誰もがやることである。結果に対する過程への質問ににおいて、作曲もこれらも大差はない。だからこれは超能力ではないのだ。あくまでも『ただ思い付いた』のである。これを超能力とするにはかなり違和感がある。
 とは言えこれはあくまでもその動作の過程の話である。結論側から見ると少し事情が異なってくる。すなわち、『なぜそんな素晴らしいものを書けたのか』という見方だ。こう言えばなるほど確かに超能力的である。数多の人を魅了する曲をなぜ思い付けたのかとなれば超能力に思えて仕方がない。
 しかし数多の人に愛されたと言うことは作曲という過程ではない。あくまで結果なのである。混同しがちになるのは作曲が一般的でやいからだ。
 つまるところ、作曲は、およそ敷居が高いにしろ、それ自体は超能力ではない。その一点がどうしても納得できなかったのだ。

 では《良い》曲を書く能力は超能力か。尋ねられても否定しかねて苦笑いする他無い。
posted by HAL at 18:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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